プリマドール・アンコール
06-11 雪華文様(11)


 深夜。邸宅の暖炉の前。
 鴉羽はひとりピーナッツバターシェイクを飲みながら、義体を労っていた。
 煙突から吹き上げる煙に、微かに黒いものが混じっているのが分かる。
 危ないところだった。
 あのまま追いかけっこをしても、遅からず追いつかれていただろう。一か八かの賭けだったが、うまくいってよかった。
 機械人形メカニカ同士を巻き込んで、湖の外へと沈めた――人形は水に浮かない。大敵といってよかった。
 鴉羽とローサは、なんとか氷結した湖の崩落に巻き込まれることなく、湖岸へと辿り着くことができた。
 そのまま徒歩で森の中を抜けて、街へと帰ってきたのはとっぷり日が暮れてからだ。
 ローサはかなり辛そうで、家に帰ると、へたり込んでしまう有様だった。
 彼女の体調も気にかかるが、マスターに報告もしなければと、家族に預けて戻ってきたのだ。


 マスターとおとめさんたちの行動は素早かった。
 すぐに調査隊を組むと、現場へと向かっていた。
 あれからもう随分経つ。もう日付も変わる時間だと思ったところで、自宅前に軍用車が止まるのがわかった。


 毛布をもって出迎える。

ナギ「ああ、すまないね」

 予想通り、コートは雪まみれだった。鼻先も真っ赤で、指先は氷のように冷たかった。

ナギ「よろしく頼むよ。ボクはすこし暖を取るとするよ……」

 さすがに疲れた様子で、暖炉の前に丸まると、猫のように頬に手をこすりつけていた。
 鴉羽がたっぷりと温めのお茶を用意すると、いかにもおいしそうにすすっていた。

ナギ「首尾よくいったよ……と言いたいところだけど、どうにもうまくいかなくてね」
ナギ「まだ湖の底さ。調べてみたが、いまはとても引き上げられない。専門の潜水士でも連れてこないとね」

 農耕用人形も一緒に沈めてしまったので、すこし心が傷んだ。

ナギ「それで、キミが見た人形だが……」
ナギ「なんとか回収できた。いまはおとめちゃんが預かっている」
ナギ「………」
ナギ「あれは桜花じゃないよ」
ナギ「本国に残されていた試作機だよ。欠陥があるので起動しない。悪いやつもいるもんだ、そいつを手土産に亡命しようとした……バラして解析しようとでもしたんだろうね」

 どこか寂しげな声色で、マスターは続けた。

ナギ「どうしてみんな、彼女たちをそっとしておいてやらないのかな」

 こんな僻地を休養先に選んで、しばしばあてもなく外出していたことを思い出す。

ナギ「手がかりでも掴めればと思ったんだ。でも、まさかキミが見つけてくれるとはね」

 疲れ切って、鴉羽の腕の中で眠ってしまった少女のことを思い出す。

ナギ「問題は、だ」

 小さく息をつく。

ナギ「明朝まで船は出ないってことだ」

 その言葉の意味に気付くのに、時間はかからなかった。

ナギ「ローベリアの偵察人形がいたということは、それを操る自律人形がいる。彼女を補佐する部隊も。たぶん沖合……軍船の報告はなかったから潜水艦かもしれない」
ナギ「こちらの準備が整っていないことに気付いていたら、そうするだろうね」
ナギ「住民を避難させよう。ここも片付けないと……準備が出来たら出よう」

*       *       *

 薄暗い室内で、鴉羽は荷物をまとめている。
 といっても、持って行けるものは風呂敷ひとつだ。
 マスターから預かった荷物を詰めていると、すぐに包みの中は一杯になった。


 机の上、入りきらなかった荷物。
 ローズヒップのジャム瓶だ。彼女はおいしいといって食べてくれた。この島で出来た……人間の友達。
 そんな存在が出来るなんて、思いも寄らなかった。

ナギ「鴉羽、行こうか」

 背嚢にありったけの荷物を詰め込んで、マスターがやってくる。


 ジャム瓶を握りしめる。
 ある決意と共に、鴉羽は声を上げた。

ナギ「なにを言うんだ? キミはまだ直って……」
ナギ「……戦ってはいけないよ」

 マスターは視線を伏せ、ただ静かに首を横に振った。



 胸に手を当てて、マスターの元へと詰め寄った。

ナギ「……キミは、たったひとりでカザ要塞を守り通した。司令部が早々に壊滅……作戦命令を失ったのにも関わらず、だ」
ナギ「人形は普通、そんな考え方はしないんだよ。キミは他の人形とは違う」
ナギ「違う、違うんだ……ボクはそこに……希望を見た……だから、直したいと思った……誰に言われたわけでもない……ボク自身の意思で……」

 懇願するように、すがりつくように声を上げた。




執筆:丘野塔也 挿絵:まろやか CV:楠木ともり(鴉羽)