プリマドール・アンコール
03-04 冬の花火(4)


 ランドセルの中身が空っぽになるまで、さほど時間はかからなかった。
 二人は近くの展望台へと移動した。小高い丘の上にはベンチがいくつか置かれている。遠くに総主教会の荘厳たる様子が見えた。

 「そうね、よく売れたわね」
 「別に、あんなの大した……」
 「………そう」

 灰桜は無垢な瞳でそう言ってくれる。
 無下に否定することもできず、リリアは言葉を濁した。

 「余分に持ってきたからあるけれど……どうして?」
 「ええ……そうなの?」
 「……じゃあ、いただくわ」

 灰桜の背中のランドセルから、湯気立つハーブティーを注ぐ。
 カップの半分ほどしか残っていなかったけれど、それでも十分だった。

 「……おいし」

 口をつけると、はちみつとコケモモの優しい甘みが広がっていく。
 冷え切った体を、スパイスが中から温めてくれるようだった。

 「え?」
 「あ、こ、これは……」

 無意識のうちに、リリアの頬に涙が伝っていた。
 慌てて、手の甲でごしごしと拭う。

 「違う、違うの……そうじゃなくてね。なんだか懐かしくて……」

 まさか灰桜の前で、こんなにも気持ちが緩むとは思わなかった。

 「昔、お母さんがよく作ってくれたなぁって思って……」

 いや、一見なにも考えていないようで、でもそっと大切なものに寄り添ってくれる……そんな灰桜の前だから、なのかもしれない。

 「うん、もう何年も会ってないけれど……」
 「そうだったら、いいんだけど……」

 じっとルビー色のカップの中身を見つめる。

 「……わたしね、置いていかれたの」

 ふと、普段なら絶対に言わないことを口にしてしまう。
 灰桜が人形だからなのか、それとも……。

 「お母さんはローベリア人なの。アルタリア人のお父さんと結ばれて……それはそれは反対されたそうよ」
 「四人の子供に恵まれて……でも、戦争が続くにつれてどんどん迫害されて……だから、子供たちと一緒に、ローベリアに亡命することにしたのよ」
 「言ったでしょ、置いていかれたの。お金や手間の問題で……ローベリアにいけるのは四人だけだった。お父さんとお母さん、うえ二人のお兄ちゃん……それで全員」

 灰桜は目を見開いて、じっとリリアの話に耳を傾けている。

 「妹はまだ二歳だったから、養子にもらわれていったわ。わたしは少女歌劇団に売られることになったの」
 「そうなのよ。子供を入団させるとね、謝礼金がもらえるの。きっと亡命の渡航費の一部になったんでしょうね……」
 「ちょっと灰桜」
 「あなた……人形なのに、どうして泣くのよ」

 灰桜は、ぽろぽろと頬に涙を伝わせていた。
 それでも、懸命に言葉を続かせようとする。

 「違うって、なによ」
 「そう……かしら」
 「う……」

 とめどなく溢れてくる涙。
 拭うこともせず、頬を泣き濡らしながら、灰桜は声を上げる。

 「ぐすっ……あ、ああ、あああぁあああ……」

 そう断言されて、リリアはもう自分を保っていられなかった。

 「私だって、会いたいよ! お母さんとお父さんに会いたい……! 連れて行きたかったって……言ってほしいよ……!」


 小さな体に、ぎゅっと抱きついた。

 「うわぁあああああああああ~~~~~~~」

 その胸に顔をうずめて、リリアはただ慟哭した。

*       *       *

 「……ごめんなさいね、灰桜」

 涙が止まっても、まだ目蓋は腫れぼったかった。

 「ハーブティー、すっかり冷めちゃったわ」
 「ううん、いいの……それでもおいしいから」

 すっかり冷えたハーブティーで喉を潤す。
 火照ってしまった体には、そのひんやりとした温度が心地よかった。

 「どうぞって……」

 灰桜は真剣な表情で、両手いっぱいのコインの山を差し出してくれる。

 「それは……」

 こんな小銭がいくらあったところで、船賃の足しにもならないだろう。

 「……そうね、ありがとう。とっても助かるわ」

 それでも、そのコインを受け取った。
 ずっと手のひらでぎゅっとしていたのか、ほかほかと温かかった。

 「ねえ、灰桜?」
 「灰桜は、なにかしたいことはないの?」

 「私がローベリアに行きたいというように……灰桜の望みはないのかなって思って」

 いま思い出したというように、笑顔で声を上げた。

 「花火?」
 「花火は新年の日だけよ、だからあと一年待たないといけないわ」
 「その、マスターに言って見せてもらったらどうかしら……?」
 「今日、一日中外にいたけれど……」

 いま思い出したというように、ぴくんと背筋を伸ばす。


 あまりに狼狽えているので、思わず笑ってしまう。

 「一緒に帰りましょう。わたしからも説明するから」
 「平気よ、きっと」

 彼女を安心させたくて、リリアはにっこりと笑顔を向けた。


執筆:丘野塔也 挿絵:まろやか CV:和氣あず未(灰桜)


目次へ戻る