プリマドール・アンコール
03-08 冬の花火(8)


 鬱蒼とした森の中。
 先に怖気づいたのは灰桜だった。
 というか、早い。まだ数十分も歩いていないはずだ。

 「人形なのに、おばけでも信じているの?」

 背後でなにやら、どさどさと物音がする。
 慌ててそちらを懐中電灯で照らした。市場で投げ売りされていた、皇軍の放出品だ。

 「……雪が落ちてきただけみたいね」

 頼りない白色の灯りが、うっすらと森の中を照らしている。木々から落ちた雪が、小さな山を作っていた。


 思わずへたり込みそうになっている。

 「私のお供をしてくれるんじゃなかったの?」

 慌てて背筋を伸ばして、自分に言い聞かせるように声を上げている。


 手を引いて、ずんずんと進んでいく。
 それもしばらくの間だけで、気づけばリリアの隣にぴったり寄り添うようにしていた。

 「ふふっ……灰桜」
 「歌でもうたいましょうか?」
 「静かだから怖いのよ。歌うと元気が出るわ」
 「ら~~~らら~~~……♪」

 雪を踏みしめる音に合わせるように、伸びやかなソプラノを響かせる。

 「ほら、灰桜も一緒に」

 白い息と共に、森の中に歌声を溶け込ませていく。
 不思議なもので、そうやって歌っているとすこしずつ気分が昂ぶってくる。
 ある意味、リリアの中でなにかが吹っ切れたのかもしれない。
 そのまま灰桜と手をつないで、ダンスのひとつも踊りたい気分だった。

 「今日はとことん歌いましょ……♪」

 灰桜もさっきまでの怯えようはどこへやら、リリアに続いて心地よさそうに歌っている。
 なんだかどこまでも……楽園まで一緒に辿り着けそうな、そんな気がしていた。

*       *       *

 「……雪、止んだわね」

 あれから何曲一緒に歌っただろう。
 劇団で覚えたあらゆるレパートリーを披露したような気がする。
 灰桜も、ずっとリリアの後に続いて歌って、分からない部分は何度も復唱して、時には歌を中断してレッスンして……
 気づけば森の切れ目。白銀の世界を進んでいく。

 「この懐中電灯も、もうダメね」

 軍用といえど、流石に持たなかったようで、なんの輝きもない。

 「あははは、本当ね。お月様なら電池切れしないわね」
 「それは待ち遠しいわ……あ、つぅっ……」

 不意に膝をついてしまう。

 「へ、平気……軽く吊っただけだから」

 雪に足を取られまいと、気を取られすぎていたのかもしれない。
 ふくらはぎの筋肉が引きつって、悲鳴を上げていた。

 「そうね、それもあるかも……歩き通しだったもの」
 「賛成よ。灰桜も燃料を……」

 近くにある岩場に身を寄せる。
 街中でそうしていたように、二人してストールをすっぽりかぶり、灰桜の温もりを分けてもらう。

 「私はいいわ。あまりお腹が空いていないの」

 カバンにはライ麦パンの固まりが入っているが、なんだか口をつける気になれなかった。

 「灰桜、あなたはしっかり食べておいて」

 まるでホットミルクでも飲むように、瓶を両手で抱えて燃料補給している。中身はひまわり油だけど。

 「ふふっ……おいしそうね」
 「ありがとう灰桜」

 こん、と頭をくっつける。
 彼女の桜色の髪は柔らかく、さらさらと頬をくすぐった

 「一緒にいてくれて」
 「ねえ、ひとつ聞いていい?」
 「前に花火を見たいって言ってたわよね。冬の花火……」
 「いまも……そう思ってる?」
 「どうしてよ」
 「そうね、離れ離れになっちゃうわね」
 「そうね、いつか……」

 それは十年後だろうか、それとも二十年後……いや、戦争は三十年間続いているのだから、それ以上かもしれない。

 「なに、言ってるの」
 「いま見られるわ、冬の花火」

 空にちらりと、輝きが瞬いた。

 「ほら……見上げて」



 瑠璃色の丸い目を向けて、感嘆の声を上げた。


 寒々しい夜空。青色から緑色に美しいグラデーションを描きながら、幻想的な輝きを形どっていた。

 「本当はね、オーロラっていうの」
 「こんな寒い日にね、レバルジャクでは見えることがあるの。オーロラは幸運の象徴よ……新年の空に輝くと、素晴らしい豊穣の年になると言われているわ。でも、いつ出るかなんて予想できないでしょ……? だから、代わりに花火を打ち上げるの」
 「ええ、そうよ。前に歌った歌もね……このオーロラのことを意味しているの」
 「いっぱい歌ったけど、冬の花火だけはまだだったわね……いいわ、歌いましょ?」

 オーロラを見上げながら、一緒に声を弾ませる。
 実のところ、リリアの喉はひどくかすれていたが、それでも無理矢理に歌を響かせた。
 疲労がどっと押し寄せてくるのが分かる。
 腰から下はまるで鉛のようで、寒さも相まってまるで感覚が無い。指先も同じだ。もう寒いという感覚はなく、自分の体が自分のものではなくなってしまったみたいだ。
 睫毛が凍りついているのが分かる。つい意識が飛びそうになって、灰桜が不思議そうな声を上げる。慌ててかぶりを振って、なんとか歌をつないだ。
 そして、リリアは最後まで歌いきった。

 「灰桜、ごめんね」
 「最後まで……嘘つきで」
 「ローベリアになんか行けないわ」
 「分かるの、そんなの無理だって……不可能だって……」

 歌をうたったのもわざと、この場所で休んだのもわざとだ。

 「オーロラが見えそうという理由だけじゃないの……ほら、見て」

 ゆっくりと近づいてくる姿がある。
 いかにも心細い懐中電灯の灯りが、辺りを照らしている。リリアが持っていたものとおそらく同型。払い下げられる前の軍需品だ。人影の背後には、ひときわ大きな異形の姿。背中の煙突からとめどなく水蒸気を吹き出している。

 「皇軍よ」


執筆:丘野塔也 挿絵:まろやか CV:和氣あず未(灰桜)


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